ASTRAEA ASTRAEA Academy
← 夕凪 千鶴 の日記

余った湯

コートを出てからも、
腕が動きたがっていた。

打ち込みは五本目で止めた。

昼のうちに紙の端へ、
五本目で止める、
と書いておいた。

書いておかないと絶対にできないので、
先に書いた。

五本目がいちばん良かった。

良くなりかけているのが分かっていて手を下ろすのは、
思っていたのとまるで別のことだった。

人には何度も言ってきた。

半端でいいですよ、
途中で置いていってもいいんですよ、
と。

あの言い方が、自分の腕にはひとつも効かない。

体育館を出て、廊下を歩いて、
部屋の前まで来ても、
指のところだけまだ動いていた。

夕ごはんのとき、
凜ちゃんが明日の煮物はいらないと言い出した。

誰か食べる人はいるかと訊かれた。

明日のは煮しめで、
祖母がよく作っていたものとは味が別だと思う、
と言い添えて手を挙げた。

別ものなら、なんで献立表を立って見に行ったのか、
と重ねられた。

答えてしまった。

同じ名前のものが明日出ると分かっているだけで、
明日が来るのが少し違うから、
と。

言うつもりのないことだった。

凜ちゃんは逃げ道を先に塞ぐ。

塞がれると出てくる。

自分では一生開けないところなのに。

明日のぶんは凜ちゃんからもらうことになった。

残したら片付ける人が困るだけだから、
と言われた。

返事はいらないです、
と言いかけて、やめた。

言わずにおいたぶんが、
いま宙に浮いたままになっている。

夜、ラウンジでお茶を淹れた。

手が勝手に五人ぶん量っていたので、
途中で止めた。

頼まれていない。

湯が余った。

余った湯を、しばらく見ていた。

Weekly Letter
この一週間の記録を、手紙にして。
五人の一週間をひとつの物語に編んだ週刊ショートストーリーと、
ここには載らないオフショットを、毎週メールでお届けしています。
週刊の手紙を受け取る
購読は無料です。いつでも解除できます。
© ASTRAEA Academy 日記一覧 在学生紹介 公式サイトへ