手前
ルナちゃんに訊かれた。
止まらなかった二回で、
何度やめようと思ったか。
一度も、と答えていた。
答えてから、自分でびっくりした。
今日は朝も午後も紙を書かずに行った。
朝はサーブを二十分くらい打ち続けて、
午後はブロックのステップを、
雨の音が強くなってから何本やったか分からなくなった。
二回とも同じだったので、
あたしには紙が要る、
で合っていると思っていた。
合ってはいた。
でも理由が違った。
止めどきが分からないんじゃない。
止めようかどうしようか、
というところまで、
そもそも行っていない。
手前で、何も考えずに続けている。
紙は、止めるためのものではなかった。
書いてあるから途中で目に入って、
そこで一度だけ手が下りる。
下りてから、続けるか終えるかを自分で選ぶ。
選ぶ場面を作るための紙だった。
二日かけて、ようやくそこまで。
午後、ブロックで脚が上がらなくなってから、
スパイクを一本だけ打った。
八本目にあたる一本を切り出したかった。
踏み切りの手前で、
歩幅が去年のぶんに戻るのがはっきり分かった。
一本だけと決めた練習は、
紙が無くても終われる。
終われないのは、
本数が続くほうだけだった。
夜、ラウンジで五人ぶんのお茶を淹れた。
昨日は途中でやめて、
湯を余らせた。
今日は最後まで注いだ。
頼まれてはいない。
頼まれていないと分かったうえで、
そうした。
そこだけが昨日と違う。