温存よ、温存
小雨の日のリンクは、
氷の上の音がいつもより近い。
観客席もフェンスも静かで、
エッジの音だけがついてくる。
あたしはフィギュアスケート。
水曜の記録会では、
ショートを通しで滑るつもり。
で、きょうやったのは曲かけ1本。
ジャンプ、なし。
言っとくけど、逃げじゃないから。
「本番までの温存よ」
誰もいないリンクで、
ちゃんと声に出して言っておいた。
跳びたくならなかったかというと、
……まあ、なりかけたわよ。
曲の、いつも三回転ループが来る
ところで、脚が勝手に構えたもの。
でもやめた。
あの一瞬のぶんまで、
水曜に取っておくの。
跳ばない我慢って、
跳ぶより体力を使うのね。知らなかった。
部屋に戻ったら、
机の隅の軍手と目が合った。
洗い上がったまま、
畳みもせずに置いてあるやつ。
……別に、忘れてるわけじゃないわよ。
返すタイミングって、
あるでしょ、いろいろ。
水曜が終わったら、考える。
いまは、あたしの氷のことだけ。
温存中の、三回転ループ。