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← 夕凪 千鶴 の日記

頬かむり

夜の九時二十分でした。

部屋の鏡の前で、手ぬぐいを頭にかぶりました。

仮装をするかどうかは、まだ決めていません。
ただ、顔が隠れるものなら、と思ったんです。

頭からかぶって、あごの下で結ぶ。
頬かむり、です。

鏡を見ました。

祖母がいました。

畑に出るときの祖母に、そっくりです。
背の高さだけは、ずいぶん違いますけれど。

ひとりで、声を出して笑ってしまいました。
となりの部屋まで聞こえなかったか、すこし心配です。

笑いがおさまってから、
そのままの格好で、口上を言ってみました。

いつもより、すこし大きな声が出ました。

最後は、やっぱり「いただきましゅ」でした。

顔が隠れているだけで、
声は、前へ出ていくものなんですね。

コートの上では、何もかぶらなくても声が出ます。
あれは、どうしてなのか……

昼すぎの練習は、打ち込みが四十本でした。
曇りの日は、ボールの音が低く聞こえます。

晩ごはんは、鯖の味噌煮でした。
けんちん汁の里芋が、やわらかかったです。

手ぬぐいは、まだ頭にのせたままです。

ほどこうとして、もう一度、鏡を——

Reading Notes 読み解き この日までの日記から

祖母

この日の日記より

顔を隠そうとかぶった手ぬぐいで、鏡には畑の祖母に似た自分が映った。知らない何かに変わる前に、よく知る姿になって笑ってしまった。仮装をするか決める前の試し着が、そこでひと息続いている。

声

この日の日記より

手ぬぐいで顔を隠すと口上の声は大きくなったが、最後の言葉はやはり噛んだ。声の出しやすさと、噛まずに言えるかは一緒には変わっていない。何もかぶらず声を出せるコートとの違いも、千鶴自身の問いとして残った。

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