何食わぬ顔
「リンリン、なんか、いいことあった?」
夕食のあとのラウンジで、葵が言った。
「は? ないわよ、何も」
あたしは急須を持ったまま、そう答えた。
完璧な返事。顔も、声も。
五人ぶんの湯呑みに、順番に注いでいく。
先週覚えた、ちょっとずつ回して、同じ高さにそろえるやり方。
何もない。ほんとに、何もないの。
ただ、朝、リンクに出る前に、
窓辺の束を、指でちょっとさわっただけ。
夜、戻ってきてからも、ちょっとさわっただけ。
きのう吊るした、ローズマリー。
葉の先が、少し丸まってきてた。
乾いてきてる、ってことよね。たぶん。
こういうの、やったことないから知らないけど。
放課後のリンクでは、40分。
跳んで、回って、降りて、いつもどおり。
なのに、滑ってるあいだに一回だけ、
束のことが頭に出てきた。
氷の上で、氷以外のことを考えるなんて。
さわると、乾くのが遅くなるのかしら。
それとも、関係ない?
真琴なら図書塔で調べるんでしょうけど、
聞けるわけないじゃない。内緒なんだから。
お茶は、五つとも同じ高さで注げた。
葵は、まだこっちを見てた。
だから、何もないってば。
ないけど、あしたの朝も、たぶん——