一本だけ、島にある
工具箱の右上が空いている。
会場の倉庫で車を受け取って、
宿の裏の作業場へ運んだ。
タイヤの空気圧、
ブレーキの遊び、
シフトのリンク。
順に見ていって、
細いレンチのところで手が止まった。
一本だけ島に忘れてきた。
車庫の棚の、二段目だ。
置いた瞬間まで覚えている。
代わりの工具で締めた。
締まりはする。角が少し丸くなる。
それでいい。
ただ、手が止まったのは
締まるかどうかの話ではなかった。
島なら、澪川に聞けば
きっと工具の名前を調べてくれる。
七瀬なら、意味も分からないまま
走って探しに行くだろう。
借りる相手がいる、という状態は、
オレの今までになかった。
一年前のオレは、
足りない工具は買っていた。
買うより先に、
誰かの顔が浮かんだのは初めてだ。
Niente(なんでもない)。
明日は会場でコースを見る。
レンチは水曜の便で戻る。
それまでは、角の丸いほう。